朝、高校に向かう途中、いつもの交差点に霊柩車が通った。
僕は、それをじっと目で追いかけていた。黒い車に金色の装飾。
柩、と言う名に相応しく、この場に似つかわしくない格好のクルマは、周りの注目を引いて走り去っていった。
僕の後ろから、「不吉だ」なんて声が聞こえた。僕にはそうは思えない。だが、それを見た僕の顔には涙が流れていた。
小さい頃に、病院で、僕は霊柩車で人が運ばれていくのを見た。
僕の親族ではない。歩いていたら、たまたま見つけただけ。でも、僕の足は、釘を打たれたかのように、動かなくなっていた。
霊柩車をじっと、目で追いかけていく。その後、僕の視線はその後ろに居た女の子に移った。
僕と同じくらいの年であろう女の子。その子はただ、霊柩車を追いかけていたが、しばらく歩くと、止まって涙を流した。
悲しいから泣いた、と言う訳ではないみたいだ。女の子も、何故泣いているのかが分からないらしい。
涙を腕でふき取ると、不思議な顔をしていた。それを見ていて、いつの間にか僕も泣いていた。
いつの間にか、自分自身に投影していたのだろう。ただ、不思議な涙を流し続けていた。
その後どうなったかは覚えていない。でも、きっと親が僕の手を引いていったのだろう。
もしかしたら、僕はその女の子と話したのかもしれない。でも、僕は覚えていなかった。
ただ、僕が覚えているのはその場面だけであり、霊柩車を見る度、僕はその場面を思い出して、
同じように涙を流すようになっていた。
* * *
霊柩車が僕の目線から消えた。すると、涙はいつの間にか流れなくなっていた。
僕は霊柩車の呪いにでもかかってしまったのかもしれない。
そんな事を考えながらも、涙を指で払って、顔を霊柩車の方向から戻した。
そして、目の前に、泣いている女の子を見つけた。
……いや、泣いている、と言うのは正しくなかったようだ。正式に言うと、涙を流しているだけだった。
彼女自身、その涙をどうするべきか持て余している。
それを見ていて、僕は頭を殴られたような感覚を覚えた。
目の前の彼女が、あの時の女の子かどうかは知らない。
でも、ああやって涙を流してるって事は、僕と…いや、あの女の子と同じ感情を持った人間なのだ。
と、言う事は、僕には分からない、この涙の意味を知っているのかもしれない。
だから、僕は信号が青になった瞬間に、彼女の方へと早歩きで向かった。
人は少ないとは言えない。だが、この位ならかわす事なんて容易い。
そのまま彼女の元へと向かっていった。
と、そこで彼女も僕に気付く。そして、向かってきている僕に気付くと、僕に向かって歩き出してきた。
彼女と向かい合う。僕は、いざ面と向かい合うと、何を言えば分からなかった。
大体、何で彼女は僕のほうへと向かってきたのだろうか?
何で、自分に近づいてきていると分かったのだろうか。
意味の分からないことが多すぎる。でも、これだけは聞いておきたかった。
* * *
「何で、泣いているの?」
僕は、泣いている女の子に向かって話しかけていた。
女の子は、流れた涙も拭かずに、僕も流れた涙も拭かずに、見つめ合う。
だが、それもどんどんやりきれなくなって、もう一度女の子に聞こうとした。
「ねえ、」
「それはきっと、何が何だか分からないから」
そこで、僕の言葉を遮って、その言葉は紡ぎ出された。大きな病院の、広い駐車場には、
僕たちだけしか居ないように思えて。それが酷く、反響して聞こえた。
見知らぬ女の子の言葉に、僕は首を傾げるだけだった。
「分からないから?」
「そう、分からないから」
彼女は、そんな僕を見て笑った。でも、その笑顔は口だけで、嘘をついているように見えた。
でも、僕は何もしなかった。彼女は、笑顔を作るために頑張っているのだから、それを壊してはいけない。
「じゃあ、僕も……分からないから、泣いているの?」
そう聞くと、彼女は首を二回振った。僕はまた、首をかしげた。
「何で?だって、僕は
* * *
「何で、霊柩車を見て泣いたの?」
昔の事を、中途半端に思い出しながら、僕は彼女に質問していた。
もう少し思い出すのが早ければ、僕は何も言わずに通り過ぎていただろうに。
どうせ、この子も同じ事しか言えない。あの女の子と同じなんだから。
女の子は、僕を不思議そうに見ていた。何で不思議そうだったのかは、分からない。
「何でって、貴方も理由が無くて泣いてるんですか?」
と、彼女をじっと見ていたら、僕が聞き返された。言葉に詰まりながら答える。
「それは……僕の場合、呪いのようなものだから……」
そう呟くと、同じように彼女も呪い、と口だけで呟いた。いや、それよりも。
今彼女は何て言った? 貴方も、だって?
「君も、理由がないまま泣いてるの?」
僕は、当然であろう疑問を口に出していた。
「……いや、実は、私が泣いてる理由は約束みたいなもので」
「約束?」
その言葉こそ、僕には分からなかった。だが、頭の中で引っかかりを覚えていた。
しかし、その考えも遮られる。彼女が僕の手を取って、引っ張っていたからだ。
「い、一体何処に行くのさ!」
「何処も何も、もうすぐ信号が赤になりますよ!」
そう言われて、やっと気付いた。僕たちは、横断歩道の上で、要するに車道の真ん中で話していたのだ。
多分、僕はしばらく気付かなかっただろう。
「さて、この後の話なんですが、聞きたければ、放課後にしましょう」
また、僕が考え込んでいるうちに、彼女は勝手に決めていた。だが、それも仕方ないと思った。
「じゃあ、放課後何処に行けば?」
「校門近くに居てください」
今更だけど、彼女も僕と同じ高校に通っていたらしい。一緒に高校へと向かった。
その後の事は、覚えてない。いつも通り、何か授業をやって、いつも通りに終わりを迎えた。
* * *
「だって、僕は君になったから、泣いたんだよ?」
僕の言っている事は、直接過ぎて意味を捉えていなかった。
「そんな事、絶対に無いよ。君は、君だから泣いたの」
そう言って、彼女は僕を真っ直ぐに見た。
「でも、僕には泣く理由なんてないよ」
「じゃあ、私を見て泣いたのは何で?」
僕の中で、答えが出た、ような気がした。そして、それが顔に表れていたのか、
女の子はただ、涙を流してにこにこと笑って、いた。
「どうしたの?」
「ありがとう」
彼女は、さっきとは違って、本当の笑顔を見せていた。
* * *
時刻はとっくに5時を過ぎていた。この高校では、4時に全ての日程を終える。
なので、僕は4時からずっと、校門の近くで待っていた。校門に入ってすぐの場所にある時計から目を落とした。
彼女は未だに来ない。だが、帰るわけにはいかなかった。あの時の真剣な顔つきを思い出したからだ。
あの目は嘘をつく目ではない。だから、今になっても帰れずにいた。
いや、でも、もう思い出してしまった。理由が無いのに、待つ意味なんてあるのだろうか。
先ほどの、思い出。アレが全てなんだ。そう、僕は――。
と、そこで視界の端に見覚えのある姿を見つける。それは確実に、彼女だった。
彼女は、僕の姿を見つけるとすぐさま走ってきた。
「ここにずっと居たんですか?」
彼女は僕に近づくと、それだけを最初に聞いてきた。
「そうだけど……どうしたの?」
肯定すると、彼女は頭を下げてきた。仕方ないので、僕は彼女に理由を聞こうとした。
「いえ、用事があって遅れてしまって……」
「その位はいいよ。で、こちらこそ謝らないといけない」
「いえ、大体分かります。その顔だと……悩みが解けたみたいですね」
「ああ、そうなんだ。もう、大丈夫」
そう言って、僕はもう一度、あの時の会話を思い出していた。
僕が泣いた事なんて、他愛も無い。ただ、あの子が可哀想に見えて泣いただけだったんだ。
何で、忘れてたんだろう。そう思って、僕は空を見た。
「……結局、何で泣いていたんですか?」
と、いきなり聞かれる。
僕は、顔を戻して、今までのことを、全て話した。それを彼女はじっと聞いていた。
そして、話が最後まで終わると、彼女はこう切り出した。
「やっぱり、私は呪いでしかないんですね」
それは、僕の目の前で聞こえてきた声だった。今、何て言った?
僕は、彼女を見る。すると彼女は見覚えのある目で、僕を見ていて、
僕はと言うと、
――ねえ、ずるいよ
ある、呪いの言葉だけを思い出していた。
目を開ける。僕は、自分の部屋のベッドで、横になっていた。
どう帰ってきたんだろうか。確か、走って帰ってきた気がする。
じゃあ、何で走ってきたんだろうか?
「……ああ、僕は逃げてきたのか」
そこで、やっと僕自身がさっき、何をしたかを思い出した。
彼女の目、冷たく、暖かく、恨みを込めた、優しさを込めた目。
その目が嫌になり、僕は逃げ出した。意味が分からなかった。
何であんな目をしてるのかが分からなかった。何であんな目をしてくれているのかが分からなかった。
「何が何でどうなってるんだ……」
そうして、僕は目を覆った。もうこのまま眠っちゃおうか。
いや、そう言えば、走り去るときに、何か約束されてた気もする。
確か、そう。何処かに来てくださいって約束。
『今日、公園で待ってます!』
* * *
僕は、あの子とさよならした。ありがとう、って言われて嬉しかったから、
車の窓で手を振っているあの子に、一生懸命手を振った。
その後のことだった。僕は肩を叩かれた。何事か、と振り返ったら、泣いてる女の子が居た。
僕はいきなり怒られた。
「何で、先に聞いちゃうの?」
「え?」
「何で泣いてたか聞かないと、泣き止めなかったのに!」
「あ……」
何も言えなかった。話すのが怖かった。
「ねえ、ずるいよ。これからどうすればいいの?」
泣きながら、笑いながら聞いてくる。怖くて、優しいその顔で。
だから、僕はそれを見て泣いていた。
「え?」
今度は、女の子の方が困っていた。でも、僕はいつまでも泣くしかなかった。
「何で、泣いてるの?」
女の子が聞いてくる。僕は、泣きながら答えた。
「約束」
「約束?」
「僕も、君と一緒に泣いてあげるって約束」
* * *
「本当に、何で忘れてたんだろうね!」
陽が落ちていく中、僕は全力で自転車を漕いでいた。世界がぐにゃりと歪んで、後ろへと流れていく。
息はとうに、あがっていた。でも、僕は向かわなければならなかった。
何が、呪いだ。大切な約束だろう。とにかく、僕は公園へと自転車を漕いでいった。
彼女は、ご丁寧に公園の入り口に立っていた。疲労困憊の僕を見た顔は驚きで固まっている。
僕が、自転車を降りると、すぐに質問してきた。
「何で、来たんですか?」
「呼んだのは、そっちのくせ、に」
息が整わない。必死に息継ぎしながら、彼女の質問に答えた。
「アレは、ただの間違いです」
彼女は、矛盾している事を言っていた。
「じゃあ、何で、ここに?」
「それは……」
そして、その矛盾していた事を聞くと、彼女は言葉を濁してしまった。
「大丈夫、今度こそ、思い出したから」
僕が、彼女の気にしているだろう事について、話した。
それを聞いて、彼女はまた、驚きで固まってしまった。しかし、そのうち下を向いてしまった。
「ねえ、聞いて良いかな?」
息が整い始めたので、俯いてる彼女に向かって、聞く。
彼女は、俯きながら、話した。
「別に良いですよ」
「君はあの時、泣いていたのは、僕が先にあの子に聞いて怒ったのは、あの子を見て泣いたから?」
彼女は俯いたまま、頷いた。
「私、あの子と自分を重ねちゃったんです」
「で、聞こうとしたら僕が先に来て……」
あの時の事を思い出していた。きっと彼女は、僕たちを遠くで見ていたのだろう。
でも、それを聞いて、またも引っかかりを覚えた。
「じゃあ、今日は何で泣いてたの? さっきは約束だなんて言ってたけど、やっぱりおかしい」
そう、確か約束って言うのは、あの約束の事だ。だったら、霊柩車を見てなく理由なんて無いはず。
「それは……」
彼女は僕を指差し、言った。
「貴方を見つけたからなんです」
僕は、呆然とした。
「私、あれからあの約束を一度も忘れた事はありませんでした。特に、今日の霊柩車を通ったときなんて、
本当に明確に思い出したんですよ。で、丁度その時に、泣いている貴方を見たんです。
すぐに分かりました。あの時の男の子なんだって。」
しばらく、ぼうっとしていた。で、ようやくあの時の彼女の涙が、うれし泣きだったって事に気付いた。
「え……? まさか、本当に?」
頷いて、また泣いていた。笑いながら。
「だから、あの時、私との事を忘れていたことが凄くショックだったんですよ」
「あ……本当に、ゴメン」
彼女は、涙を拭いて、もう一度笑った。この笑いは、マイナスの要素が無い、
本当の笑顔だった。
「いいんです。思い出してくれたんですから」
それを見て、僕は照れくさくなって、咳払いをした。そして、言いたかった事、それを話した。
「ねえ、実は今日、言いたい事があるんだ」
「何ですか?」
彼女の顔を見ると、その先を言いづらい。でも、仕方なく言葉を紡ぎ出した。
「今までの約束を白紙にしたい。」
「え?」
そう言うと、彼女は、形容しがたい顔をした。あえて言うなら、幸せから突き落とされた顔。
それに罪悪感を覚えながら、僕は続けた。
「その代わり、新しい約束がしたいんだ。」
「え……?」
不思議な顔をしている。だが、それを無視して続けた。
「まず、その、同じ学年なんだから敬語を止める約束」
「は……うん」
律儀に、すぐ実行してくれた。そのまま続ける、
「暇なとき、帰りは一緒に帰る約束」
「あ……」
彼女の顔が、ほのかに赤く染まる。それを見て言いよどむ。
出来るだけ気付かれないまま、最後まで続けたかったのだが、こうなったら仕方ない。
僕は、最後の約束を、噛みながらも呟いた。
「できるだけ、お互いに…目の前で、ええ……き、喜怒哀楽を見せ合おう、って約束」
彼女が今更、その約束を拒否するはずも無かった。
今度こそ、終わった。呪いは、解けたのだ。
呪いが解けたのだから、きっと、これから呪いにかかる事なんて、無いだろう。
願う事なら、いつまでもこの約束が果たされますように。
あとがき
少し前、霊柩車について思い出したんで、それを題材に書いてみました。
まさか、ここまで長くなるなんて思ってなかった。今は反省している。