「………何?」

呆然としてしまう。

 

「阿野『章』は、とっくに死んだ。三年前に、車に轢かれて。……これでいいだろ?じゃあな。」

そう言うと、『仁』は後ろを向いて、そのまま歩いていってしまった。

 

――これはどう言う事なんだ…?冗談か?いや、もし本当に死んでいたとしたら……。

 

仕方なく俺は、ポケットから携帯電話を取り出して、『あの人』に電話を掛けた。

さっきまで繋がらなかったので一か八かだ。

『もしもし。どうしたんですか?』

その声は、紛れも無く『あの人』の声だった。

「ああ、阿野章なんだが、死んでると聞いたんだが。」

少しの沈黙。

『はい?』

やはりと言うか何と言うか。相手は疑問文で返してきた。

「三年前の、例の事故で。情報源は阿野『仁』本人からだ。」

俺が説明し終わると、大きな間が空く。

そして、やっと話し始めたと思うと、意味の分からない言葉で返してきた。

『……やはり、ですか。』

「どういう事だ。」

『彼は阿野『章』で間違いありません。』

やはり冗談だったのか、そう思った。そこで俺は疑問を投げかける。

「だが、何のためだ?」

 

そう、何故彼は『仁』と言う偽名を使っているのか。それに対して答えが帰ってくる。

『それは、彼が阿野『仁』という名の、阿野『章』の身体に出来た人格だから。』

 

――そうか、二重人格か。

 

『そう言えば信じますか?』

まだ続いていたらしい。だが、すぐに返答する。

「ああ、信じる。」

『……まあ、実際それが正解なんですが、そんな早く答えを返してくるとは。』

呆れたような感嘆するような声。

「何だ。」

『詐欺に引っかからないように気をつけてくださいね。』

少し癪に障ったが、心を落ち着けて続けた。

「ともかく、『章』が死んだって言う真相はそう言う事だな。……だが、一つ引っかかることがある。」

『何ですか?』

「それは、死んだ事になるのか?いつかまた『章』の人格が現れるかもしれないだろうに。」

また、沈黙。そしてしばらくすると答えが返ってきた。

『まあ、そうですね・・・・・。確かにそう言われればそうでしょう。
しかし、死んだと言い切ったってことは、『章』自身が表に出るのを拒み、自分でその存在を封印したと。
そう言う事なんじゃないんでしょうか。』

俺はそれを聞いて顔をしかめた。

『まあ、分からなくても別にいいですよ。君は彼を『仁』君として扱いなさい。彼は間違いなく阿野『仁』でいます、今は。』

「そんなの分かってる。」

『・・・・・じゃあ、一体何でそんな不機嫌なんですか?』

 

――白々しい。

 

「アンタ、こうなる事を予想してただろ?」

『……何の事でしょう?』

「笑いながら喋っても意味無いぞ。」

実際に笑い声が聞こえるわけではない。だが、大体どんな表情かはすぐ読めた。

『……まあ、ともかく。阿野『仁』君は頼みましたよ。それでは。』

それを最後に、電話が切られた。虚しい接続音がひたすらなり続ける電話をしばらく見つめていたが、

仕方ないか、と呟いて通話停止のボタンを押した。

そして、そこら辺で横たわる佐藤たちを無視して、俺は校舎へと戻った。

 

――謎は解けた。

校舎に戻りながら心の中で呟く。

 

――なあ、『章』。お前はそれでいいのか?

聞こえない呟き。だが、ただひたすら、自分の気分が晴れるまで喋る。

 

――何故お前は、逃げようとするんだ。もはや檻の中に閉じ込められていると知りながら。

扉の前にたどり着く。扉を開けて中に入る。

 

――せいぜい覚悟しておけ。

これを最後に、頭の中の怒りは収まった。

 

ここは小さな屋敷。昔、孤児院と呼ばれていた所。

そこにただ一人、暖炉の火を見つめながら洋式の椅子に座っている男が居た。

「主役は、揃いました。」

男は、暖炉の炎を追うわけでもなく、ただ見つめて言う。

「後は、彼らを引き立たせるためのシナリオ。」

何処かから隙間風が入ったのであろう。暖炉の炎が大きく揺れた。

「そう、彼の終末への道のりを描くための。最高のシナリオを用意してあげなければ。」

笑みを浮かべて立ち上がる。そして、彼は暖炉に木をくべると、爆ぜた木を見ながら呟いた。

「それが私の……使命なのだから。」

 

第1章、終

 

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