ちょっと待った、名前は?……いや、だからアンタの言ってる『彼』だよ。

いや、こっちが聞いているんだ。知ってるのはアンタだろうが。分かった、じゃあ早く調べてくれって。

………ん、やっとか。で、そいつの名前は…阿野……か。分かった。じゃあ切るぞ。

 

 

騒々しい教室。そんな中、不意に教室の扉が開く。

それによって、全員が静まり返り、席に座ると、教師はこう言った。

「え〜、皆さん、知っている人もいると思いますが、今日は転校生が来ています。」

眼鏡を掛けたひ弱そうな40歳代の教師が伝えると、静かだった教室が、

また騒がしくなる。そして、それを待っていたかのように、

「阿野君、入ってきなさい。」

扉の外で待ち構えていた転校生を呼び出す。

するとどうだろう。さっきまで騒がしいと言っても、ひそひそ話が飛び交う程度の騒がしさが一転、

主に女子から一気に歓声が上がる。

確かに、頷ける。その男は、美形の類に入る。そして、誰でも親しめそうな、そんな印象を受ける。

『彼』は入って教師のところまで近づくと後ろを振り返り、黒板に『阿野 仁』と書いた。

「みなさん初めまして。阿野・・・・・仁(ひとし)と言います。これからよろしくお願いします。」

阿野仁が例をすると同時にクラスからは一気に拍手が巻き起こった。

ただし、そんな中で俺だけは別のことを考えていた。

 

――情報が間違ってるのか?

 

確かに、電話で聞いた通りなら、これで合ってる筈だ。大体あの人が間違えるわけが無い。

俺は、『阿野 章(あきら)』と書かれたメモを呆然と持っていた。

 

 

「まったく、一体何なんだ……。」

学校の屋上で、一気にペットボトルの中身を飲み干す。暖かい、日本茶の味がほんのりと広がった。

今俺が混乱しているのは、『阿野仁』という名前のためだ。あの後電話で確認を取ったが、

そんな事は無いと言われ、そのまま電話を切られた。以降まったく繋がらない。

 

――やっぱ偽名ってのが最有力か。

 

考えがまとまったので、俺は教室に戻ろうと、屋上の中心にある冷たい箱状の

コンクリートの壁に寄りかかるのを止めて、扉へ向かおうとした。

だが、その時いきなり扉が開く。と、そこには、阿野と、クラスの中でも悪名高い、

……そう、佐藤だ佐藤がいた。それに取り巻き二人組もいる。

嬉しい事に、扉は俺の正反対の場所にある。だから、向こうからは俺が見つかっていないようだ。

「で、用件は何なの?」

「いやな、俺らもこんな所に呼んで悪いと思ってる。」

多分、質問してるのは阿野だろう。またさっきみたいに寄りかかってるから、

ちょうど奴らに背中を向けてるような状況だ。

「だから、用件だって。何なの?」

「分かった、今言う。……お前が、ウザイんだよ!」

佐藤が声を荒らげる。どうやら奴にとってみたら、阿野は相当面白くない存在のようだ。

そして、すぐに3発。鈍い音が響き渡った。これは予想外だ。何故か?

悲鳴が佐藤たちの物だったからだ。

「まったく……危ない危ない。……そうだ、ちょっと、そこの同じクラスの君。」

ふと、辺りを見渡す。誰もいない。

「隠れてないで出てきなよ。さっき見えてたよ。」

………俺か。だったらちょうどいい。ついでにアレの事も聞かせてもらうか。

「悪いな、さっきは隠れてて。」

コンクリートの箱の後ろから顔を出す。すると、予想通りというか。

佐藤たちが気絶していた。

「別に良いよ。怖い時だってあるだろうし。」

俺の場合は、関わりたくないから、だったんだがな、と心の中で呟いた。

「そうだ、お前に話がある。」

「ん?部活の勧誘とか?悪いけど、僕は帰宅部って決めてあるから。」

色々と騒いでいる。まったく違うと言うのに。

「違う、お前の名前の事だ。」

「え?今更名前?阿野…。」

 

「章だろ?」

 

奴が言い切る前に俺がその名前を口に出した。その瞬間。

いきなり阿野の雰囲気が変わる。ただ俺を怒りの表情で睨みつけていた。

「おい………阿……!!?」

いつの間にか、後ろに吹っ飛び、仰向けになっていた。

頬と後頭部に痛みが走る。そして、何があったのか。その時のことが今になって思い出された。

 

――殴られた……のか。

 

反応できないとは思ってなかった。しかし、実際に反応が出来なかった。

なるほど、そこら辺にいる見掛け倒しなら一撃だろう。そう思いながら俺は頭を上げた。

「立てるのか?」

「ああ、何とか……な。」

阿野が不思議そうな顔をして聞いてくる。まさか立てるとは思ってなかったんだろう。

「記憶が飛ぶくらい、思いっきりやったはずなんだけど……。」

「俺も、特別なんでな。」

立ち上がって、言い返しておく。

「ふ〜〜〜ん。まあ、いいや。さっき『章』について聞いたよな?」

「…?いや、お前じゃないのか?」

「俺は『仁』だ。『章』じゃない。」

 

「『章』はもうとっくに……死んでるんでな。」

 

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