その静寂の時間、約三十秒。短く長い時間だった。
「……フン、何も話せないか。」
『彼』はうつむき黙っている相手に向かって、ただ一つだけ皮肉をこぼした。
すると、それに反応するかのように相手が話し出す。
「それが……。それが、どうしたと言うんですか!
もしかしたら私の昨日の発言が間違っていたという可能性もあるじゃないですか!」その言葉に『彼』が反応する。
「どう言う事だ?」
「私は昨日死体を見たんです。動揺しているのは当たり前じゃないんですか?」
「まあ、そうだろうな。」
「だったら、今日と昨日、信じられる証言はどちらですか?」
『彼』がたじろぐ。予想外の反撃だったようだ。
「……そう言うことか。だが、窓の件はどう説明するんだ?」
「今更ですが……私は昨日、事件が終わった後にもう一度部屋に行ったんです。」
それを聞いて『彼』が唖然とする。しかし、何に対してかは読み取れない。
仁も同じような様子だった。
「事件があって、警察に連絡したあとのことです、私はあの部屋にもう一度向かったんです。
それで、その時に窓が開いているのを見ました。」「な、何のためにそんな……。」
今度は仁が質問をする。
「それこそ、動揺していたがためだと思います。そして、私はあろう事か、
二回目に訪れた時の事を刑事様に話してしまいました。」「では、本当の証言は……。」
「はい、さっき話したものです。」
またも静寂。
そんな中で『彼』は後悔した。さっきの大きな間を残してしまった事にだ。
あそこで間を作らなければ今頃は完全に追い込んでいただろうと思ったからだ。
しかし、その静寂はすぐに破られた。
「では、それならそれでもう一度事細かに話していただけますか?」
「え?」
バトンを渡されたかのように、また仁が喋り始める。
その意図が何を意味するかを二人は読み取れないでいた。
「お願いします。確かめたい事があるんです。」
仁が必死になって頭を下げる。だが、相手の方は正直話す気にはなれなかった。
そう、『彼』がいるからだ。『彼』は、それに気付くや否や、すぐに席を立った。
「どうした?」
薄々気付いていながらも仁が聞く。
「ちょっと調べたい事がある。」
彼はそう言ってテラスから立ち去った。その後しばらくの沈黙。まだ警戒しているのだろう。
だが、この状態がいつまでも続く訳はなく、数分後、やっと相手が話し始めた。
仁を侮っていたが故だろう。
「……先ほどの話ですが、まあ良いでしょう。もう一回話します。」
「あ、ありがとうございます。」
仁が礼を言う。
「いえ、別にいいですよ。……じゃあ、すぐに話しますか?」
「あ、はい。お願いします。」
相手が頷く。そして、話が始まった。内容は先ほどとほとんど同じ。
ただ、その後に窓の話を付け加えていた。
「では、以上のことが真実ですね?」
仁が問いかける。相手はそれに応じてもうこれ以上は無いと言う事を頷いて見せた。
そして、それを見て仁が言った。
「すみません、犯人はもはや貴方しか考えられません。」
「……え?」
「いや、そう言う言い方は間違いでしたね。貴方は、殺人を依頼したんですね?」
相手は呆然と見ている事しか出来なかった。
何故なら何か言えば何か綻びが出てくる、と分かっていたからだ。
「貴方は、ここに至るまでにミスを犯しました。」
「ミス……?」
相手が疑問に思い、言葉として発する。仁はただ質問に答える。
「そのミスとは、もちろん証言の食い違いです。」
「な……!ま、窓の話はもう解決したじゃないですか!」
先ほど終わった話を聞かれたと思い憤慨する。
「いいえ、そちらではありません。」
「え……?」
表情が焦りへと変わる。
「貴方、先ほどこう言いましたね?死体は地面に突っ伏していた、と。」
「あ、はい。それが一体……?」
「地面に突っ伏していた、と言う事は通常うつ伏せのことを表します。
だから、この場合も同様に地面に突っ伏していたイコール地面にうつ伏せになっていた、と考えられる。」相手の顔がまた変わっていく。分かっているが認めたくない、そんな言葉を表しているかのような表情だ。
完全に相手は神にでもすがる様な気持ちだった。だが、それをいとも容易く仁は打ち砕いた。
「ですが、死体の状況は違った。死体は発見当時から仰向けになっていたそうです。」
「……!」
目を見開いて猛獣にでも出会ったかのように、相手は仁を恐れ、体を後ろに寄せた。
だが仁は更に追い詰めていく。
「では、何故貴方は死体がうつ伏せになっていると考えたか。
それは、貴方がとある場面を見てしまったからと考えるのが最適でしょう。」もう相手は話せなかった。ただ、何処か間違えていないかを祈るばかりだった。
「その場面とは……被害者がベランダから突き落とされる場面です。違いますか?」
「な、そ、そんなところ見てません!」
「いいえ、見ているはずだ。だからこそ貴方はさっきうつ伏せに倒れたと言ってしまった。
そう、被害者が前向きにベランダから投げ出される場面を見たからに。」「!」
仁はポケットから小さな袋を取り出す。そこには黒い背広用のようなボタンが入れてあった。
「コレは、被害者の服の腹部の部分に付いていたボタンです。
何処にあったかなんて、言うまでもありません、事件現場の上にある、ベランダですよ。
以上のことから結論的に考えて、被害者はベランダに寄りかかっていた所を落とされた事が分かる!」テーブルに向かって乗り出す。
「そこを貴方は見てうつ伏せだと考えてしまったんです!……違いますか?誉田修さん。」
「…………まったく、本当に僕は言い訳ができないらしい。」
そう言って、誉田修は大きくため息をついた。
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