トイレでの出来事から数時間過ぎて、今。
 俺たちは帰路についていた。

 ……まあ、いつも通りなんだけど。

「いつも通りってこんなに何も無かったのか」

 人生の数十パーセント足らずを こんな何もせずに過ごしてたなんて。

 ちょっと悲しいぜ、俺。

「あー、すっかり非現実に毒されてるね」

 俺の肩に乗ったシロは、どう取れば良いのか分からない事を呟く。
 しばらくシロを観察していたわけだが、シロはそれ以上何も言わない。
 仕方なく、目線を前に戻す。

「まあ、ほどほどに毒されると楽しめるな」

 シロの真似をして、独り言のように呟く。
 すると、怪訝な顔をしてシロはこちらを一瞥してくる。
 横目でそれを確認した俺は、つい足を止めてしまった。

 カラカラカラ……と自転車も遅れながら止まり、傾く。
 その重みは、両腕にしっかりと感じ取れた。

「どうした?」

 俺も不満な顔を作って、問いかける。
 しばらくシロは黙っていたが、ふと口を開く。

「いや、ちょっと、ね……」
『本当にお気楽』

 シロのよそよそしい態度。
 それを見て、俺は不意に昨日彼女が言った台詞を思い出してしまう。
 この言葉、昨日は何も感じなかった。
 でも、今は……違う。

 見限るような冷たさが、シロの顔を通して吹雪いて来る。
 シロと、彼女の、二人分。

「わ、悪かった」

 自然と謝罪の言葉を口にする。
 それによって、シロは許してくれたらしい。
 先程の張り詰めた空気は、消え失せていた。

「ふーっ、分かってくれたんだ。良かったよ……」

 シロは、本当に良かったと言うかのようにため息をついた。

 やっぱり、この非現実は易しいものではない。
 俺に、再度警告してくれた。
 ……やっぱり、殺し合いは始まるのか。

「ん?」

 いきなりシロが、振り向いてきた。
 呟いたわけでも無いのに、何で俺が何か言ったか分かったんだろうか?
 そう思っていると、シロは俺の顔を通り越して、後ろを振り向いた。

「は?」

 シロにあわせて後ろを振り向く。
 そこには、ジーンズのポケットに両手を突っ込んだ、男。
 それと、オマケのように鷹が肩に止まっている。

 ……鷹?

 いや、見間違いでも何でも無い。
 そこに、居る。確かに、居る。
 異質的な感覚、まるで、俺がシロを肩に乗せているのを、
 端から見ていたかのような、感覚。

「アイツに、触ればいいのか?」

 俺を真っ直ぐに指差して、呟く。
 それに応答するかのように、鷹は一言。

「そうだ」

 と呟き返していた。

「え……あれ?」

 俺の口から、自然と洩れる呻き。
 今、この鷹は何をした!?

 その質問を読み取っていたかのように、
 シロが最後に至る答えを叫ぶ。

「ケイ、敵だよ!」

 その時やっと、身体は弾かれたかのごとく動きだした。

 俺は、急いで自転車に乗る。
 そして、脇目も振らずに漕ぎ出す。
 敵と呼ばれる、男と反対方向へ。

「え、戦うんじゃないの!?」

「相手の能力がまったく分からないだろうが!」

 俺は、今なら誰にでも勝てるんじゃないかと思うくらいのスピードで、その場から逃亡した。

『このまま行けば、簡単に振り切れる!』

 内心ほくそえみながら、自転車をこぎ続ける。
 こぎ続ける、こぎ続け……。

「あれ?」

「どうしたの?」

 何か違和感が、そう言い漏らした。
 右を見てみる。すると、一つの標識を丁度通り過ぎていた。

 またしばらく見ていると、もう一度さっきと同じ標識を通り過ぎる。

『……あれ、まさか同じところを?』

 そう考えていたら、三回目。
 また会ったな、と言いたくなるかのように、さっきの標識を通り過ぎて、
 俺の考えが間違いではない事に気付いた。

「何だよ、これ!?」

 半ば悲鳴と言った感じで、叫んだ。
 何処まで敵が近づいているか気になって、後ろを振り向きながら。
 そして、相手の方はもっと異常だと言う事に気付く。

『笑いながら、何かを呟き続けている……!?』

 自転車のこぐ音が予想以上に大きくて、聞き取れない。
 でも、その男はポケットに手を突っ込んだまま、何かを呟いていた。

 やっぱり、これも武器、ってことだろうな。

「あー……やってられねえな!」

 自転車をドリフト風に止める。
 格好良く決めるためではなく、相手に背を向けないためだ。

「シロ!相手に触れると何が起こる!」

 さっきの、彼らの一連の会話を思い出して叫んだ。
 シロも、緊急的な物を感じていたのか、すぐに返答する。

「戦いの場所に、移動させられるよ!」

 それだけ聞いて、やっと相手側の真意を感じ取った。

「……戦えと?」

「そう言うことらしいね」

 さて、どうするか。
 ここで逃げるのも構わない。
 やってやるぜ、と手でも組んでみるとかか?

 いや、それだったら……。

「それだったら、か」

「何でそんな悪役的な笑い方をしてるの?」

 少なからず俺の真意を読み取ったのであろう。
 シロは、注意を促すように聞いてきた。

 まあ、結局無視した訳だが。

「アンタの名前は?」

 自転車から下りて、俺が最初に呟いたのはそれ。
 相手は、それを聞いてニヤリと笑いながら、口を開く。

「チバシンヤ」

 千葉信也とかそんな感じか。

 俺は、ただ目の前ににじり寄るように歩く。
 そのまま、距離にしてわずか一メートル足らずの位置で対峙した。

「先手必勝!」

 そこから俺は、相手の鼻に向けて、全力のストレートを繰り出す。

「ッ!? Change!」

 すると、相手は突然の攻撃に驚いたらしく、
 叫びながらその言葉を口にする。

 その瞬間、俺と相手の男の位置が逆になった。

『なるほど、そう言う能力な訳か』

 相手に見事な肘打ちを食らいながら、頭の中で呟く。

 そのまま俺が前に倒れようとした時。
 世界が真っ暗になった。

 ……いや、気絶してるわけじゃないんだけど。


 

 第九話

 第十一話

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