さっきの人、要するに千葉信也? なる人が居なくなって。
もうその一本道には、俺一人しか立っていなくて。
その光景を端から見たらどう見えるんだろうな、なんて考えてた。「黄昏てる人って言ってもらいたいの?」
「なんでだよ」
軽いツッコミを入れて、自転車を持ち上げる。
空はもう、夕暮れだった。
いや、さっきも夕暮れだったか?
ってか、いつから夕暮れだ?「ああ、言い忘れてたっけ?」
「何をだよ」
「向こうで戦ってるときは、こっちの時間が止まってるってこと」
何か、もの凄い重大発言じゃないか?
そう言うことは先に言え。
実は結構気にしてた事なんだぞ。「あははー、ごめんごめん」
そう言いながらも笑い続けるシロ。
何となく、触れない事にムカッと来たのは、まあ秘密という事で。「よっこいしょ、っと」
今日はもう歩くのが面倒だったので、自転車に跨る。
乗り込む途中で親父くさいなんて言われたが、
『五月蝿い』の一言で強制的に打ち切った。「さて、今日はどんな日だった?」
しばらく無言で漕いでいると、暇になっていたんだろう。
シロは興味津々、といった感じだった。「どんな日ねえ……」
俺も暇だったので考え込む。
「まあ、色々あったからな」
言って、今日の事を思い浮かべた。
さっきの殺しあう情景が真っ先に浮かんだので、
『あーあーあー』とか呟きながら、先程の映像をかき消す。
そして、ため息をついた。本当に今日は、色々ありすぎた。
「これでさらに何かあったらどうしようか?」
「ふ、不吉なことを言うな」
「ん? 何気に動揺してるの?」
そりゃあ、動揺はするさ。
何でこんな疲れてる状態で、鞭を打たれなきゃならないんだ、って愚痴りたくもなるだろう。
更に言うと、もしそれがさっきの事よりも大きい事だったらどうする?「まあ、逃げる?」
「逃げる事が出来たらな」
「出来たら?」
何となくだけど、もしもう一度厄介ごとに巻き込まれたら。
俺は逃げる事も叶わない。
そんな予測はあった。「まあ何て言うか、実は俺、物事に気付くのが遅いタチでな……」
いつもそうだ。
例えば、洋一から何かに誘われたときには、もう拒否権なんて空の彼方。
春流曰く、『もう少し早く気付いてれば』とか何とか。
そんな訳で、いつも俺は、巻き込まれていた。「多分、今度もそうなるだろう、って感覚はあるんだ」
「あー、そうなんだ」
「あと、周りのタチが悪いってのもあるんだろうけど」
何となく、いつも俺が遊んでる面々を思い出してみる。
思い出して、苦笑するしかなかった。「でも、楽しそうじゃん」
「確かにそうなんだろうけど……」
ふと会話を打ち切って前を見直す。
そこには、見慣れた道の終着地点があった。
まあ要するに、マンションにたどり着いた訳なんだが。「さて、続きは後だ」
駐車場を一直線に突っ切って駐輪場に向かう。
いつも自分が自転車を止めている場所に到着とともに、軽く飛び降りた。「ナイスちゃくちー」
「恐ろしいほどの棒読みありがとう」
声援なのか分からない声に答えながら鞄を担ぐ。
そのまま、ゆっくりゆっくり歩きながら、入り口に向かった。
先程のこともあってか、自分の家に帰ってこれたのが本当に久しぶりに思った。
親は、まだまだ仕事中。
両方とも教師なんて難儀な仕事をしているため、帰りが遅いのだ。
そんな訳で、この家は俺とシロの二人(一人と一匹)きりだった。「はずなんだが」
「確実に誰かいるねえ」
異変に気付いたのは、すぐのことだった。
まず第一に、鍵が開いてる。
第二に、知らない人間の靴が置いてある。
第三に、家の中の電気が点ってる。「あー、良かったじゃん。もう一個何かありそうだよ?」
「んな不吉なことを言うんじゃない」
玄関でずっと唸り続けてても仕方ない。
俺は、後ろから刺されないかといらぬ心配をしながら、人の気配のする台所へ向かう。
台所は一枚の木の板で隔たれていたが、誰かが居るのは一目瞭然。
思い切って、扉を叫びながら開け放した。「誰だ! ……って、え?」
叫びながら、固まった。
来訪者を見て固まったわけじゃない。
むしろ、来訪者の行動に固まった。「遅い!」
彼女の不機嫌そうな声を聞きながら、目を左に傾ける。
目線の先には、銀色に輝いた、包丁のようなものが壁に刺さっていて……。
包丁のようなもの? いや違う、包丁だ。
確実に包丁が刺さってる。マンションの壁に何てことをしてくれるんだ。 いや、分譲型だからまあいい。
どうしてこんなところに包丁が? 彼女が投げたんじゃないか。ダーツのように。
彼女、って誰だ? ……例の、彼女だ。「って、何でここに居るんだ!」
一瞬で自問自答を繰り返し、現在の状況を確認する。
そして、最終的且つ根源的疑問をやっと、引っ張り出した。「さあ、どうしてかしらね」
ポツリと零したように呟くと、意味深な笑みを俺に向けてくる。
ああ、やっと気付いた。
「勘弁してくれ」
ため息を混じらせながら、首を振る。
シロも珍しく、同情的な目を向けてきた。「見事に『そうなった』ね」
「ああ、なった」
二人……じゃなかった、一人と一匹で、さっきの会話を混じらせながら話し合う。
その話の内容が飲み込めない彼女は、一人見事に取り残されてる。「……一体、何があったのよ」
そんな彼女を様子を見て故意じゃなかったことを知ると、もう本当に苦笑せざるを得なかった。