何かあるのかと知って始めた事は、コーヒーの用意だった。
まあ、何だ。もうこれは定着しかけてきたって事なんだろうか。「まだ二回目だけどね」
「これからも作ってもらうけど」
「……やっぱりそうなるのか」
順番的に言えばシロ、彼女、俺。
我が家の親は何気なくコーヒー好きらしい。
無駄にこだわっている感じのコーヒー豆を機械へ適当に入れながら、シロたちと談話を楽しんでいた。俺としてはテレビでも見て静かに待っててもらった方が楽なんだが、
一人と一匹はそれを即刻拒否してくれた。
シロ曰く『ボーっとしてたい』とか何とか。
まあ彼女に至っては『この時間いいものやってないから』なんて言ってる訳なので、幾分マシか。「ちょっとそこの安藤啓太、今何か変な事を考えなかった?」
この部屋に安藤啓太なんて一人しか居ないわけですがなんて突っ込みたかったが、
突っ込んだら突っ込んだで厄介な事になりそうだったので止めておく。
取り合えず水をコップに注ぎながら少しずつ機械に入れながら、『何でもないです』とだけ言って置いた。「ってか、いつまで敬語なんだよ……」
最後の仕上げにスイッチを押す。
その状態で、誰にも聞こえないようなくらい小さく愚痴った。
正直、一歳年上ってのだけで敬語ってのはどうかと思うんだ。
その上乱暴だし。「なるほどなるほど、それで?」
ああ言うのを猫被ってるって言うんだろうな。
食器を出しながら、思う――?「って待った、今相槌を入れたのは誰、だ……」
振り向いて、身体が凍結した。
何故って、食器を持って振り向いた先には、満面の笑顔を浮かべた彼女が立っているから。
いや、待て。彼女は、笑ってるのか?「食器を持ってあげましょうか?」
目が極端に細くなってる、って事は、やっぱり笑ってる?
「あ、ありがとうございます」
ギクシャクしながら食器を渡す。それを受け取ると、俺からツイと背を向ける。
そのままテーブルへと運ぶのかと思ったら、台所に置いた。『何故、台所に置く?』
彼女はゆっくりと、預かったコーヒーカップ二つを置く。
その間も、俺の方へ振り向かない。
ただ、彼女の身体からどす黒いものが漏れ出してるのを感じ取った。
それが何だったのか、なんて聞くまでも無い。まあ何て言うか、遅すぎるんだけど。
ここまで来てやっと気付いた。……じゃなくて確証を得た。「あの、すみません?」
コーヒーカップを置いてから動かない彼女を、刺激しないように呼んでみる。
彼女は『何?』と答えながら振り向いて、同じように満面の笑みを浮かべた。ほら見ろ、やっぱり目を細めてるのは、隠してるからじゃないか。
隙間から覗き見ればすぐ分かるってのに、何で今まで……!「どうしたのかしら?」
「い、いや……」
更に加えて言うなら、解決になってない。
どうする、何が原因なんだよこれは!?「……そう、じゃあこちらから、忠告」
「え?」
ふと、これはチャンスだと思った。
だって、向こうから理由を零してくれるなら、俺がそれを拾って、的確に謝ればいい。
そう言う事なんだから……って、忠告?「考えている事は、口に出さない方がいいわよ」
それだけを言った直後のこと。
彼女から半径一メートル以内の範囲に、何か重いプレッシャーのようなものが張り巡らされる。思わず、腰が抜けてしまった。
「あ、あははははは……怒ってる?」
今更その質問は、愚問だったのかもしれない。
だって、言わなくたって怒ってる事はまる分かりなんだから。「ふふっ、乱暴でごめんなさい」
「そ、そんなこと無いって! こっちが困るくらいお淑や」
顔が目の前に迫って言葉を飲み込んだ。
どうやら腰を抜かしてしまった俺のため、膝をついてくれたらしい。「猫を、被ってる?」
その状態で口を開かれるものだから、そろそろ眩暈がしてきた。
そうそう、彼女は今でも笑顔を絶やさない。
もちろんそれに『天使のような』なんて比喩は当てはまらない。
完全に、悪魔そのものだった。「あの……そう、シロが頭に乗ってたことがあるんだよ! それをことわざに」
「違うでしょ?」
「ハイ、スミマセン」
当てはめたんだ、と言うつもりが謝罪の言葉を口にしていた。
ヤバイ、怖い。怖すぎる。「取り合えず……俺は何をすればよろしいんでしょうか?」
もう言い逃れが出来ないので、許しの方法を求めてみる。
すると、その質問に、彼女は眉を少し動かすことで、第一に答えた。
次に、手を出してくる。初めが握手かと思ったが、それは握りこぶしだった。「あー……デジャヴ?」
むしろ文章自体もデジャヴじゃね?
とか何とか思ってたが、顔すれすれに軽い突きが飛んできたので思考を遮断する。「まあ、そろそろ怒りも引いてきたし、一回殴ればスッキリするかしらね」
確かに良く見れば、彼女の細くなった目も段々穏やかになってきてる気もする。
これで一回俺が生贄になれば、彼女の怒りは収まるようだった。俺が笑わなければ。
「……ッ!?」
奥歯を噛み締め、彼女から顔を逸らす。
彼女は何が起こったのか分からない様子だった。
正直言えば、俺もいつそうなったのか分からない。彼女が、文字通りの意味で猫を被ってるなんて。
「何があったの?」
「い、いや、何でもない……」
彼女の頭では、白い猫が飛び跳ねてる。
それは、まごうことなきシロだ。
いつの間にか、シロは彼女の頭に乗っていたのだ。コイツ、完全に狙ってる。
俺を笑わせて、彼女を怒らせようとしてる。「何でさっきからずっと目を合わせないのよ?」
やっぱり気付いてない。
俺が言わなければ、気付かないだろう。
何かされるより、そっちが先だ……!「あ、あのさ!」
勢い良く彼女の方を向く。
見れば、彼女の頭にはシロが、帽子みたいにびろーんと伸びて……。思わず、噴き出した。
「…………」
それが、彼女の怒りが再着火するサインだった。