教室内の空気は、一ヶ月ほど日を先取りしてるかのような熱気だった。
 騒がしい教室の話題の大半を占めるのは、『現金争奪戦』の事だ。
 話を拾って聞くあたり、グループを作って探す方が多いようだ。

「春流は一人で探すのか?」

 前の席に突っ伏している奴に話しかける。
 春流は、起き上がると俺の方へ振り向く。

「僕は啓太と組みたいなー」

 その申し出を、俺はきっぱりと拒否した。
 元から一人で探す事を決めていたからだ。

「じゃあ仕方ない、僕も一人で探すよ」

 それだけ言うと再度机に突っ伏す春流。
 どうやら、コイツも初めから一人で探す様子らしい。
 時計を見る。開始時間の9時までには、あと五分ほどあった。

「……さて、俺もやること無くなっちまったな」

「寝ればいいじゃん」

 もう一度振り返ってきた春流の頭を叩く。
 小気味のいい音がなって、頭を抱える春流がそこに居た。

「何するのさー……」

「お前じゃあるまいし寝れるか! 大体起き上がってきたかと思えばそれだけか!」

 何かこれは八つ当たりっぽくなってるな、と思う。
 別に当たるべき事は特に無いわけだが、これから起こる惨状を思うと、
 春流の楽天的な態度が場違いに思えたりするわけだ。

「いや、だってやる事が無い、なんて愚痴ってたし」

「まあ、確かにな」

 春流は頭を叩かれたせいか目が覚めてしまったらしい。
 結局開始の放送が聞こえるまで世間話に付き合うようだ。
 とは言ったものの、話すことさえ無いしな。

「じゃあ、取り合えず金をどうするかで話す?」

 金か、とうわ言で答えながら考える。
 いきなりさっきのことで思い出したことがあったからだ。

「どうしたの?」

 その表情を察した春流は、何気ない様子で聞いてきた。

「いやさ、何で洋一は、危ないんだよ?」

 何気なく返す。
 すると、春流の方は哀れみの目を本当に一瞬だけ浮かべ、元に戻した。

 ちょっと待て、今の表情は何だ。

「あ、いや、別に危なく無いんじゃない?」

 目を逸らしながら答える。
 その表情がいかにも『ワタシ日本語ワカリマセンヨ』とか言ってる外人に見えた。

「待て、逆に怪しい」

「え、あ。……あははは」

 しばらく沈黙。それでも春流は何も喋らない。
 ただ、苦し紛れの笑顔を引きつらせている。

「……言え」

 後もう少しで落ちると確信した俺は、もう一度呟く。
 春流は、それが応えたらしく、目に迷いの色が浮かんでいた。
 が、そこまでが限界だった。

「それでは、これから現金争奪戦を始めよう!」

 校長の威勢のいい声がスピーカー越しに響き渡ってしまったからだ。
 ここぞとばかりに春流は教室から飛び出す。
 そして、廊下の人ごみとすぐに紛れ込む。

「む……」

 廊下の人だかりは、もはやとてつもないものだった。
 あの中から春流を探すのは到底手間がかかることだろう。
 だから、仕方ないかと呟いて椅子から立ち上がることにした。

「まあ、どうせ後で探せばいいし」

 独りでに誓いを立てて春流の机を見る。
 急いで飛び出していったものだから、春流の机は倒れていた。
 そして、倒れた春流の机の裏側から見える何か。

「おいおい、まさか」

 それが何なのか、考える必要は無い。
 諭吉だ。福沢諭吉。
 それが、セロテープ二枚で頼りなく貼り付けられてる。

「ちょっ、マジか?」

「あ、一万円」

「うわぁっ!?」

 後ろからの声に反応して、後退りしながら振り向く。
 俺の目線の先には、何でそんな顔をしてるのか分からない、と顔で伝えてる女子が一名、その場に立っていた。

「べ、別にとらないよ?」

 俺が一万円を守るためにこんな反応をしたのかと思ったらしい。
 目の前の女子、前野悠里はそう弁解した。

「いや、むしろ俺は、後ろに人が居た事に驚いたんだけど……」

「あ、そうなんだ。そ、それじゃあ邪魔なら行くよ」

「ご、ゴメン」

 お互いにペコペコしながら距離を置く。そのまま、彼女はすまなそうに教室から出て行った。
 俺は、それを見送りながら、深くため息をつく。そして、机の一万円札を何気なくはがし取った。

「忘れてたけど、教室内にも生徒は残ってたんだな……」

 すまなそうに出て行った彼女を思い出しながら、呟いた。
 彼女は、まえのゆうり。平仮名で読むのならば。
 松崎洋一のご近所さん、らしい。

「で、幼馴染か……」

 ありきたりすぎて今では滅多にお目にかかれない設定だな、なんて思ったり。
 ってか、何で俺はこんな事を考え続けてるんだろうな。
 そう考えると、悲しくなってきたので机の裏を探ることにする。
 どうやら全ての机の裏に金はくっついているらしく、自分の机の周りを調べるだけで結構な額を稼げた。
 しかし、そんなに長続きするわけが無く、

「――あ、机の裏に一万円が」

 この言葉を皮切りに机の裏に金がある、ってのはもう教室内では気付かれ始めた。
 これ以上は稼げないことが分かったので、仕方なく教室を出る事にした。
 廊下の人だかりは未だに治まる様子は無かった。

「やっぱりみんな金は好きなんだな」

 周りを見渡しながら呟く。
 こう言うときに春流がいないと賛同者が居ない訳だが仕方ない。
 ざわざわと騒がしい廊下をゆっくり見渡しながら歩き回る。
 しかし、何処も彼処も既に人が陣取っている。

 これだったら、五千万だろうが一億だろうが一千万だろうが変わらないんだろうな……。

「……まあ、流石に一億は変わるか」

 そんな独り言で気を紛らわしながら歩き回る。何処を見ても人で埋め尽くされてる。
 そして、もうこれ以上は稼げないなんてことが頭の中で分かってしまったわけで、
 グループを組んでれば良かったな、なんて思った。

「啓太?」

 と、いきなり俺を呼ぶ声が聞こえた。
 これは完全に春流の声なのだが、もしかしたら声真似かもしれないと言う期待を込めて振り返る。

「やあ、大丈夫?」

 で、そこにはやっぱり春流しかいなかった。

「別に、今は大丈夫だけどどうした?」

「ああ、そうなんだ」

 と、そこで春流がいきなりこっちにズイっと近寄ってきた。
 何の用なんだコイツは、と思ってたら、今度は誰にも聞こえないように話し始めた。

「今すぐ帰らない? そろそろ洋一が来るよ?」

「はあ? 何で洋一が……」

 そこで、争奪戦が始まる前のことを思い出した。
 洋一のことで何か言ってたはずだ。

「うん、それと関係あるよ」

 何となく予想が付いた。
 どうせ洋一の事だ。
 そろそろ周りから略奪を始めてるんだろう。

「別に、俺は大丈夫だ。約束もしてあるし」

 それだけ言うと、春流は面白いくらいに驚いた。
 あれ、俺はまた何かバカなことを言っただろうか。

「……え、それで本当に大丈夫、って思ってるの?」

 正直思えないが、約束は破らないと思う。

「どんな約束?」

 どんな、って言うと約束の内容か……。
 さっきの洋一との会話を、一字一句もらさずに思い出して話す。
 すると、春流は考え込んで一言だけ漏らした。

「えっと、今の何処に安全な要素が?」

「ん?」

「だって、啓太の金を奪わないなんて約束して無いんでしょ?」

 ん、ああ。そう言えば。

「で、ただ大金が入ったら分けてやる、でしょ?」

 ああ、そう言え……ば、ってあれ、何で俺はこんなに落ち着いてるんだ?
 洋一は、金が多ければ少しやるって言っただけだ。
 何で俺はこんなに安心してるんだ?

「お、二人とも発見」

 丁度その時、真後ろから響く声。
 振り向けばそこには洋一のみ。さっきの仲間なんて居ない。

「刻限が12時、後一時間ちょい。丁度いい時間だな」

 ニヤリと笑う洋一。
 その笑みに、俺たちは間違いなく命の危険を感じていた。


 

 第十八話

 第二十話

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