背中がブロック塀に叩きつけられたとき、自転車も同時に倒れた。
それを見てナイスタイミングだな、とか呑気に考えてたり。「ごほっ……! ――がっ、ひっ、はぁっ!」
で、そのあと俺はすぐに、謎の言葉を発していた。
もちろん、俺は正常だ。精神的にも。
そう言うわけで、コレは俺の一種の悲鳴だった。背を壁に預けながら、咳き込み続ける。
しばらく咳き込み続け落ち着いたところで、俺はやっと足元から少し前に、目線をずらす。
そこには、さっきの女子の足らしきものがあった。「あー、痛っ…てえぇぇぇ!」
そんな訳で、大げさに呟きながら顔を上げてみた。
あの無愛想な表情がどう変化するか調べてみたくて。そうして、顔を上げた瞬間に息が止まった。身体の動きが止まった。
もう全て纏めて時間が止まった、と言った方が早いんじゃないかと思った。「あ……え?」
俺が、全精力を注いで紡ぎだす事が出来た言葉は、それだけ。
他は何も言う事が出来なかった。
それは、相手の反応が予想外すぎたからだ。「だ、大丈夫ですか?」
俺はもの凄い心配されてた。
さっきまでの涼やかな雰囲気が嘘のように、困った顔を俺に向けてきている。「ふ、双子?」
逆に、それが不自然な気がしたのだろう。
とっさに出た言葉は、引っ込めるわけにも行かなかった。
空気がさっきと一転して、不思議空間に迷い込んでしまったかのようになっている。
誰か助けてくれ。「あ、えと……」
この空気を作ったのは間違いなく俺なので、恐る恐る尋ねる。
彼女は、俺のそんな言葉なんて気にしていないかのように顔を引きつらせている。
この反応はまさか――図星なのか?いや、そんな訳ない。一体いつ入れ替わることが出来たんだ。
「な、なな、何で見抜けるんですか!?」
その問いは、俺の意識が数秒吹っ飛ぶには十分すぎるほどのダメージだった。
今の俺は、絶対に顔が引きつっていると断言できる。
二回目になるが、一体いつ入れ替われたんだよ。「それ、本気で言ってる?」
「へ?」
俺の言葉が良く分からなかったのか、首を傾げてしばらく考え込む。
数秒ほどして、硬直状態から解き放たれると、若干焦った様子で「じょ、冗談ですよ」と返してきた。
どう聞いても冗談には思えない。「え、えっと、好きな動物、って居ますか?」
「は?」
しかも、いつの間にか話題が変えられてる。
「また、何で動物?」
それは、俺の素直な疑問だった。
はぐらかし方が異常に下手すぎて、むしろそっちの方が気になる。
もしこれが作戦だったら、俺は頭を抱えて悔しがるだろうがその様子は当分ない。
目の前の彼女の焦り方は、どう見ても素だった。「え、何でって……いや、その――そう! とっても大事な話なんです!」
どうやらさっきの話題は彼女の頭の中から完全に消失しているようだった。
この焦り方は、思い通りに会話が進まないときの焦り方っぽい。
仕方なく、動物の話題に付き合ってやることにしてみる。「あー……それじゃあ猫とか」
「へえ、猫ですか。分かりました、少し静かにして頂けますか?」
まるで子供を諭すように、話しかけられる。
何となく反論がしたかったがそれは許されないらしい。
彼女の目は真剣そのもので、さっきまでの雰囲気とは確実に場違いだった。「では、行きます」
彼女が突然、目の前で両膝をつく。その洗練された動きに圧倒されて、俺は何も喋れずただ前を見る。
次に、俺の目の前の空間に、手をかざし始めた。そこには勿論何もない。
しかし、その手の動きを見ていると、見えない何かを両手で包み込んでいるかのようだ。疑念に近いものが浮かんでくる。
「……何をやってるん」
「てい!」
俺の質問を華麗にスルーして飛び出た叫び声は、先ほどまでの雰囲気を見事にぶち壊した。
しかし、そんなことなんかどうでも良くて。「……凄え」
彼女の掌の先で起こっている奇跡に、俺は素直に感動していた。
先ほど彼女が包み込んでいた見えない何かへ向かうように、光が集まってくる。
そして、その光がとある動物のシルエットを作り出すと、突然光が消え去った。「って、何も出ないのかよ!」
その残念さに、思わず叫んでしまう。
彼女の掌の先からは、モノの気配がぷっつりと途絶えていた。「いえ、成功ですよ。後は貴方の感覚を弄るだけです」
その言葉に当然危機を感じた俺は、後ずさろうとして、思い出した。
俺の背中は、壁じゃないか。「な、何を……」
「安心してください」
彼女の掌は、いつの間にか俺の頭を両手で包み込んでいた。
「ちょっと酔うくらいですから」
文句を言おうとしたが、その前に彼女の「とりゃあ!」という叫び声で何かが始まった。
視界が、絵の具を混ぜるかのようにグニャリとひしゃげ、何も見えなくなった。
同時に耳鳴り。聴覚が完全に失われる。
脳が直接揺らされるような衝撃を受けながら、自身を庇おうと頭を押さえる。
なのに、揺れが止まらない。いや、むしろ俺がどんな動きをしてるか分からない。「――それでは、さようなら」
突然、聞こえなかったはずの声が聞こえて、目を開ける。
その先には、彼女を除いたいつも通りの光景が見えた。「……何だったんだ、今の」
いつの間にか俺は脱力しきっていたのだろう。
石の壁に背を預けた俺は、両手両足が地面に落ちた状態だった。
五月なのに、身体中じっとりとした汗で包まれている。「あの子、結局双子だったのかな……」
未だにぼんやりした頭で、ただそれだけを呟くと、勢い良く立ち上がる。
結局、俺が学校にたどり着いたのは、最終登校時間から5分経った後だった。
さっき起こったことなんて誰も信じないだろうから、気分が悪かったと説明していつもの席に着く。
そうして、今日の朝の騒動は、終わりを告げた。「オーイ、起きないとダメだよー」
と思うのは、やっぱり間違いだったんだろう。
そう気付かされたのは昼を過ぎての授業からだった。声が聞こえたのは、俺の嫌いな授業の時間の最中だった。
一方的に喋られるせいで理解できないうえに眠くなるこの授業。
だから、その声に興味を惹かれた。「……誰だ?」
周りを目だけで見回しながら呟く。
すると、俺の声に反応するかのように、何かが机の上に飛び乗ってきた。「!?」
強烈な勢いで後ろに仰け反ったせいで、一瞬俺の近くにいる生徒一同の注目を浴びた。
何でも無いことをアピールすると、全員の目が元に戻る。
そうして安堵の息をついてから、俺の机の上に居座る白い物体に目を向ける。「……これ、は」
まさしくそれは、白い子猫としか言いようが無かった。
そして何より、このシルエットには見覚えがある。
今朝、彼女が光で作っていた何かと非常に似ている。「ん? そんなに僕が珍しいの?」
「は?」
その上、何と喋るらしい。
まさか、コレが噂のネコ型ロボットと言うヤツなのか!?
パニックになった俺が考え付いた最初の結論は、これだった。