カチャリ。

 カップを置く音がやけに五月蝿い。
 どうやら目の前のこの人は、こっちが苦労して淹れたコーヒーが不服らしい。
 眉間にしわを寄せて、難しい顔で俺とシロとコーヒーカップを交互に見た。

「で、そろそろ話してくれないでしょうか」

 俺としてももの凄い不服なのだが、敬語で目の前の彼女に話しかけた。
 彼女は、それを聞いているのかいないのか、まだ眉間にしわを寄せている。

「仕方ないわね、砂糖を持ってきてくれる?」

 しばらくして、顔を上げてすぐ言った言葉がそれだった。

「……また、華麗に無視をするんですかい」

「客人をもてなすことも出来ないの? 随分と礼儀がなってないようで」

「分かりました分かりました! すぐ持ってまいります!」

 言葉を遮るように、洋式テーブルから立ち上がる。
 そして、この部屋に隣接する流し台の下を探してみる。
 すると、中にそっくりと砂糖の袋が未開封な状態で一袋置いてあった。

 ――袋を、差し出すのか?

 自分で想像して、戦慄が走った気がした。
 うん、ヤバイ。そんな事をやったらさっきの二の舞になるじゃないか。

「遅い、何をやっているの。たかが砂糖でしょ」

「あー、はいはい。今持って行きますけど、袋が未開封なんで、ちょっと待っててください」

 台所から顔を出す。呆れた顔をした女性が見える。
 何となく、表情から言葉は読み取れた。

「スティックは切らしてるんです。延髄は勘弁してください」

 あらかじめ、釘を打っておいた。
 今でも思い出せるあの感覚。あれは恐ろしかった。
 その戦慄を思い出していると、目の前の人は、ため息をつく。

「言葉遣いはともかく、そんなことで延髄に足を叩き込んだりはしないって」

 そう言って、一連の動作のようにコーヒーを飲んだ。
 飲んで、また眉をひそめた。
 どうやら、本当に一連の動作だったらしい。

「苦いわね」

 ポツリと、呟いた。

 俺は気にせずに、砂糖を開封する。
 あくまで後に保存が利くように小さく開けた。
 そして、食器棚から小洒落た洋風の小皿を取り出す。
 我が家の母にセンスがあって助かった。

 ここで堂々と寿司屋とかで出てきそうな安っぽい皿を突き出した時。
 そのときの彼女の反応が手に取るように分かってしまったのは、
 慣れてしまったんだな、と諦めておいた。

「ああ、取り合えず美的センスが無い、って延髄に蹴りを叩き込んでくるだろうね」

「言うまでもなくね」

 シロ、続いて例の女性が俺の思考を読み取っていたかのように呟いた。
 今更ながら、シロが居たことに気付いた。
 そのシロはと言えば、テーブルの上で行儀良く座っている。

 ……本当に見えないんだろうな。まさか毛だけ残るとか無いよな。

「取り合えず、人の思考は読むものじゃなくて流すものだと言っておきます」

 半ば諦めの境地に達しながら、砂糖を小皿に盛り付け、俺は忠告した。
 目の前の一人と一匹に、改善しようとする素振りはまったく見られなかったのは言うまでも無い。
 もちろん俺もこの短い時間だけで学んだ。

 だから、小皿を持ってもう一度イスに座った。

「どうぞ、これでいいですか?」

「はい、ご苦労様」

 それだけ言うと、小皿の中身をカップにぶちまけた。
 そのあとは、小皿と備え付けに持ってきたスプーンでかき混ぜている。

『甘党、なだけなんだよな?』

 目の前で起きている惨状を見ながら、心で呟いた。
 念のために言っておくが、小皿の中には大匙10杯分くらいの量はあったはずだ。
 何度も言うが、それを……目の前の彼女は、コーヒーの中にぶちまけた。

「さっきから静かだけど、どうしたの?」

 コーヒーを平然と飲みながら、俺に問いかけてきた。
 え、本当に何でも無いのか?

「いや、ただ」

 コーヒーを見て、シロの方に目を逸らした。

「その顔は、このコーヒーを馬鹿にしてる顔ね」

「…………はあ」

 取り合えず誤魔化しても意味が無いような気がして、頷いた。
 その瞬間、彼女の上げた手から、竹刀が何処からともなく現れ、振り下ろされていた。

「色々突っ込むべきところだらけなんですが、動機を教えてください」

 頭がジンジンする。
 するのだが、ムカついたので、そのまま喋り始めた。

「砂糖絶対、砂糖万歳、砂糖完璧。……貴方はそれを汚した。それ以外に理由が必要?」

「まさか、甘党を馬鹿にされたと思って怒ったんですか」

 取り合えず、怒りたいのは俺の方だった。
 何故にそんな理由で叩かれる羽目になるんだ。

「ふん、納得してない顔ね」

 頭に乗っかったままの竹刀から、さらに力が加わった。
 どうやら、向こうもご立腹のようだ。

「そりゃあ、意味も無く殴られれば。それに、あんな可哀想なコーヒーを見れば」

 売り言葉に買い言葉。そんな言葉を頭に浮かべながら、反撃。
 すると、相手は意外と効いたらしく、眉がピクッと動いた。
 そのまま立ち上がって俺の目の前に立つ。

 そして、二コリと最上級の微笑みを俺に与えながら、

「この口は、まだ言うか!」

 二つに分けて喋る言葉。
 それに合わせるかのように、彼女の身体が動いた。

 初めの一言で構えて、
 二言目で、延髄への蹴りを打ち出す。
 その一撃に俺は何の反応も出来ず、首の衝撃をただ受け止めた。
 肺から、新鮮な空気さえも吐き出した。

「怒る、場所が分からねえ……」

 頭がクラクラする。いや、コレは身体全体が揺れている。

 ああ、そう言えば、さっきもこんな感じだったっけな。
 ……住宅地、タメ口で話しかけたら『しっかりとした言葉遣いをしなさい』の言葉と、
 とびっきりの一撃を貰って気絶した。

 で、気付いたら家に居て。
 話があるから、と話せる場所に移動させられて。

「よく考えたら」

 その話、ってのも聞いてないじゃないか。
 糖分ばかり口にしてるからこんなに気が短いんだろう。

『あー、もう倒れるな、これは』

 空を飛んだような感覚の後に、俺は前へと突っ伏す。
 そのまま、地面に引きずり込まれるかのように、身体の動きは停止した。

「あ、また……」

「またとかそう言うレベルじゃないと思うんだが」

 何とか意識だけはとどまっていたらしい。
 意識を総動員して空気を吸い込んで、俺はそれだけを呟いた。
 もちろん目線は彼女に向けて。

 それを聞くと、彼女は苦虫を何度もかみ締めて飲み込んだ顔をした。

「随分しぶといもので」

「一回喰らってれば身体は慣れるものらしいです」

 一日に二度も蹴りをしてくるなんて野蛮ですね。
 そんなニュアンスを込める。
 彼女はその意図を汲み取ったらしく、また嫌そうな顔をした。

「……仕方ない、脱線する前にそろそろ話を始めましょう」

 そう言って、彼女は自分の座っていた席に戻る。
 戻ったのは、いいんだが。

「どうしたの? 啓太」

 彼女が座っても顔を上げない俺が不審だったのだろう。
 シロが質問してきた。
 俺は色々考えたが、結局コレだけ言う事にした。

「いや、身体が動かない」


 

 第四話

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